陸軍墓地・海軍墓地・護国神社 忠霊塔・忠魂碑参拝 |
名 称 | 真田山陸軍墓地 |
場 所 | グーグルマップ |
真田山陸軍墓地は明治4年(1871年)に陸軍埋葬地となる。真田山陸軍墓地は日本最古で最大の陸軍墓地。 真田山陸軍墓地には納骨堂・合葬碑・個人墓あり。個人墓5,300基以上。納骨堂には43,000余柱の遺骨があると言われていたが、最新の調査で遺骨の数は8,249であることが判明。 真田山陸軍墓地での最も古い埋葬者は、明治3年12月1日に病死した下田織之助氏で、真田山陸軍墓地で最初の被葬者となる。 |
|
リンク | https://www.sanadayama.or.jp/ 真田山陸軍墓地維持会 |
真田山陸軍墓地の地図。 |
真田山陸軍墓地正門 |
真田山陸軍墓地境界石。陸軍最大の境界石とのこと。 |
真田山陸軍墓地 二〇一四年(平成二十六年)三月 |
真田山旧陸軍墓地の由来
真田山旧陸軍墓地は大阪市天王寺区玉造 平成七年十二月 建之 社団法人 日本郷友連盟大阪府支部他有志 |
明治3年に亡くなられた下田織之助氏のお墓。真田山陸軍墓地で最も古い埋葬者。 |
2013年頃まで墓守のお婆さんが住んでいたお家。今は真田山陸軍墓地維持会の事務所に。 令和5年に取り壊された。 |
令和5年に建替えられた事務所。 |
真田山陸軍墓地仮忠霊堂(納骨堂) |
真田山陸軍墓地仮忠霊堂内部 |
仮忠霊堂内部の棚には数千もの御遺骨が |
桜咲く真田山陸軍墓地。 |
今井兼利少将のお墓。真田山陸軍墓地で一番大きいお墓。 |
佐官のお墓。 |
尉官のお墓。 |
真田山陸軍墓地明治37年・38年戦役戦病死者合葬碑。 |
真田山陸軍墓地には清国軍俘虜の墓が6基とドイツ軍俘虜の墓2基がある。 |
真田山陸軍墓地の墓碑の多くがこのように傷んでいる。 |
表面が剥離した墓碑も多数あり。 |
折れてしまい、木に立てかけられている墓碑。 |